母親
この世に無視していい人なんて一人もいない。
私の母親は本当に可哀想な人だし、私の教会は本当に可哀想な人達だ。67歳を超えて、肉身が衰えても尚、信仰生活を続けるし、教会に通っている。こういう風に育って欲しいって、思っていた思いとは、逆の道に迷いこむ。なるべく、明るい話しを母親は持ち出そうとする。ずっと家庭の為に頑張って来た。
私が韓国留学中、手紙や電話で家族と話す機会があった。父親は、ずっと仕事をしていたし、母親は、ずっと仕事や教会、家庭の為に働いたし、兄は新しいアニメを教えてくれたし、弟や妹はいつも韓国のお菓子や食べ物を持ってくるのを楽しみにしていた。
祝福結婚を楽しみにしていた
私は、家族の中では比較的恵まれた環境、信仰生活を送っていた。実家の新潟から離れ、韓国ソウルで学生生活を送っていた。日本に比べて韓国は宗教が盛んで、隣人付き合いが大変に多かった。国としての経済的チカラは日本がやや上だろうが、信仰心は韓国の方が凄かった。
私は、新興宗教の家庭で育って来たので、周りの友人たちよりも希望的教えを持っていたと自負していた。10代の頃は、何も疑わず、先輩家庭が敷いたレールの上に、親が言われるままに、生きて行った。ある程度幸せだったし、理論的正しさ、ようは他宗教と比較した時に遥かに高度で、信頼できる、独自的視点からの教えだった。
情的に満たされていなかった自分
お父さん、お母さんがいて、兄、弟2人、妹がいた。5歳までは仙台市のアパート一部屋、新潟に来ると小さな三部屋に7人住んでいた。
(今は、引っ越して二階建ての借家に住む。月々五万だ。地域性、交通アクセスなどから、不満がある。車がないと、何も出来ない地域だ。)
韓国ソウルに留学していた時は日本人として、日本に戻ってくると韓国人みたいな人として、両文化の板挟み状態にあった。
自己矛盾の中で
どこの宗教でもそうなんじゃないか。どこの教育組織でも。矛盾性を内包した信徒達はいるもんだ。それに苦しんだ。家庭からしてそうだった。
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